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アゼリ () とは、アメリカ合衆国の競走馬、繁殖牝馬である。牝馬ながら2002年のエクリプス賞年度代表馬に輝いた。2010年にはアメリカ競馬殿堂入りを果たしている。 == 略歴 == シガーの馬主として知られるアラン・ポールソンがケンタッキー州ベルサイユに所有する、ブルックサイド・ファームで生まれた。ポールソンは航空チェックポイントから馬名を命名することを好み(シガーも同様である)、アゼリはアゼルバイジャン共和国のバクーにある航空チェックポイントの名称からの命名である。 1歳となった1999年のキーンランド・セプテンバー1歳馬セールでコンサイナー〔競走馬を育成し、セリ市に上場する仲介業者。〕のジョナベル・ファームに11万ドルで購入され、女性調教師のローラ・デ・セルーが管理し、ポールソンが2000年に亡くなったため、息子のマイケル・ポールソンが所有した。 3歳となった2001年11月という競走馬としては遅いデビューだったが、同年は2戦2勝で終えた。 古馬となった2002年は2戦目のラカナダステークスで2着に敗れたものの、その後は7連勝でブリーダーズカップディスタフを優勝し、牝馬としては史上3頭目〔1983年オールアロング、1986年レディーズシークレット以来であったが、この2頭が牡馬を破った記録があったのに対し、アゼリは牡馬相手の勝利は無かったため選出には疑問の声もあった。〕となるエクリプス賞年度代表馬に輝いた。またエクリプス賞最優秀古馬牝馬は2004年まで3年連続で受賞した。同年はG1競走5勝を含む9戦8勝だった。 2003年はG1競走3勝を含む5戦4勝で、前年からの連勝を11まで伸ばしたが、レディーズシークレットブリーダーズカップハンデキャップでは2着に敗れ連勝がストップすると同時に屈腱炎を発症、調教師側は引退を勧めたものの、馬主側は諦めずウェイン・ルーカス厩舎に移籍させ、半年後の2004年4月に復帰することとなった。 復帰戦のアップルブロッサムハンデキャップでは見事復活し、この競走3連覇を達成、同年はG1競走3勝を含む8戦3勝で、牡馬にも挑戦〔アメリカ合衆国では牝馬限定競走が整備されているため牡馬と走る機会は基本的に無い。〕したがメトロポリタンハンデキャップ8着、ブリーダーズカップクラシック5着と牡馬相手のG1競走には手が届かず、同年12月に引退した。 G1競走は計11勝。獲得賞金407万9820ドルはゼニヤッタに抜かれるまで北米牝馬新記録であった。 引退後はケンタッキー州に戻り繁殖牝馬となった。2007年2月14日には父エーピーインディの初仔が生まれている。2006年からオークローンパーク競馬場でアゼリブリーダーズカップが行われている。 2009年11月10日に、ノーザンファームの代表者である吉田勝己によって落札され、日本で繁殖生活を行う。 2010年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館はアゼリの競走成績を評価して、同馬の殿堂入りを発表した〔Romero, Point Given named to racing Hall of Fame - ESPN(英語)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アゼリ (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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